プラモ作るのって正直言って勢いが一番大事だよね。
事前宣告もなく、そしてほぼ一日で仕上げてしまったよスターファイター


一日で作ったのにちゃんと形になってしまったのがどことなく悲しいです。でもやっぱりシルバーは塗りやすいものです。まあ全面シルバーにしちゃったせいで「なんちゃって自衛隊機」になっちゃったわけですが。
さて、この機体はロッキード F-104J スターファイター。ハセガワの1/72です。
実機はF-104Gの自衛隊向けバージョンとして1961年に初飛行しました。
このF-104シリーズは機動性と高速性を求めに求めまくったため強力なエンジンが搭載されびっくりするくらいの軽量化がはかられた機体で、その速さだけを求めたようなフォルムは戦闘機、もとい航空機らしからぬもので、鉛筆に翼を付けたような変態的な雰囲気を醸し出しております。ちなみにキャッチフレーズは「最後の有人戦闘機」。
なんつーか、初期のウルトラマンにおける地球防衛軍の戦闘機としてそのまま登場しても全く違和感のないような形をしていますよね
センチュリーシリーズという戦後の米軍軍用機の1シリーズの一員として作られたこの機体はNATO軍の指定戦闘機にもなり、西側諸国の多くの国で配備されました。
日本でも1963年から「栄光」というニックネームで配備開始。しかし隊員などからは「マルヨン」や「三菱鉛筆」というあだ名で呼ばれていた模様。(三菱鉛筆と呼ばれたのはこの機体のライセンス生産お行ったのが三菱重工だったからで、違う意味での「三菱鉛筆」。なんてお高い鉛筆なんでしょ)
NATOでも主力戦闘機となったこともあり、自衛隊でも大きな機体をかけられた(F-104専門部隊も作られたりした。ちなみにこの部隊はF-104J/DJの退役と同時に解体)F-104ですが、過度の軽量化などが起因して、操縦性が悪化してアメリカなどでは事故が多発して早々に配備が打ち切られたりしました。日本でも配備から10年ほどたったところで後継機のF-4EJが導入されるなど第一線での運用は予想以上に短かったようです。
しかしこの独特なフォルムに惹かれた航空ファンも多く、1986年の退役後も多くの人々の記憶に残っている機体でもあります。
なんというか、古き良き機体という感じです。おそらく今こんな感じの戦闘機が出てきても絶対採用されないんじゃないかと思う
事前宣告もなく、そしてほぼ一日で仕上げてしまったよスターファイター





一日で作ったのにちゃんと形になってしまったのがどことなく悲しいです。でもやっぱりシルバーは塗りやすいものです。まあ全面シルバーにしちゃったせいで「なんちゃって自衛隊機」になっちゃったわけですが。
さて、この機体はロッキード F-104J スターファイター。ハセガワの1/72です。
実機はF-104Gの自衛隊向けバージョンとして1961年に初飛行しました。
このF-104シリーズは機動性と高速性を求めに求めまくったため強力なエンジンが搭載されびっくりするくらいの軽量化がはかられた機体で、その速さだけを求めたようなフォルムは戦闘機、もとい航空機らしからぬもので、鉛筆に翼を付けたような変態的な雰囲気を醸し出しております。ちなみにキャッチフレーズは「最後の有人戦闘機」。
なんつーか、初期のウルトラマンにおける地球防衛軍の戦闘機としてそのまま登場しても全く違和感のないような形をしていますよね
センチュリーシリーズという戦後の米軍軍用機の1シリーズの一員として作られたこの機体はNATO軍の指定戦闘機にもなり、西側諸国の多くの国で配備されました。
日本でも1963年から「栄光」というニックネームで配備開始。しかし隊員などからは「マルヨン」や「三菱鉛筆」というあだ名で呼ばれていた模様。(三菱鉛筆と呼ばれたのはこの機体のライセンス生産お行ったのが三菱重工だったからで、違う意味での「三菱鉛筆」。なんてお高い鉛筆なんでしょ)
NATOでも主力戦闘機となったこともあり、自衛隊でも大きな機体をかけられた(F-104専門部隊も作られたりした。ちなみにこの部隊はF-104J/DJの退役と同時に解体)F-104ですが、過度の軽量化などが起因して、操縦性が悪化してアメリカなどでは事故が多発して早々に配備が打ち切られたりしました。日本でも配備から10年ほどたったところで後継機のF-4EJが導入されるなど第一線での運用は予想以上に短かったようです。
しかしこの独特なフォルムに惹かれた航空ファンも多く、1986年の退役後も多くの人々の記憶に残っている機体でもあります。
なんというか、古き良き機体という感じです。おそらく今こんな感じの戦闘機が出てきても絶対採用されないんじゃないかと思う
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