この間フジミの「1/700 高速戦艦金剛」を買ったので、金剛についてのお話
「金剛」は、旧日本海軍が運用していた金剛型巡洋/高速戦艦の一番艦であります。
建造計画が具体化した当時、日本は欧州列強の最新造船技術を取り入れるため、日本国内では発注せず、イギリスのヴィッカーズ社に発注して1911年に建造が始まったのでした。
このヴィッカーズ社に発注するまでには、日本の海軍省とヴィ社との間に収賄などといったいろいろと汚い話があり、1911年に起きたシーメンス事件(もともとは独軍需企業シーメンス社との収賄の発覚から始まった事件だったが、芋づる式にこの「金剛」建造に関する汚職も発覚した)においてこの問題が摘発されたことで有名です。(なので、日本史を勉強してしっかりと史料まで読みこむと、「軍艦金剛」という単語を見つけることができます)
そんなこんなで「金剛」が竣工したのは1913年8月16日。全長214.6m、排水量26330トン(全長、全幅、重量は後の改装により変化)。主砲に36センチ砲を8門搭載。竣工時には魚雷も搭載していました。
「巡洋戦艦」、つまり足の速い戦艦として建造された金剛は、27.5ノットという速度を誇り、非常に高性能な戦艦として生まれたのでした。
金剛の建造実績は、発注元である日本のみならず建造請け負ったイギリス自身にも大きな影響を及ぼし、後の戦艦建造の発展に大きく寄与したのでした。(第一次大戦勃発時に、イギリスが日本に「金剛」の貸出を要求したほど)
金剛以降に建造される日本の戦艦は、大和型が登場するまでは全てイギリス式のものとなっています。(大和型はアメリカ戦艦の影響を受けていると思われる)
またイギリスで建造されたのは「金剛」のみであり、二番艦以降は全て日本で建造されました。(「金剛」はそれらの中で最も完成度が高かったと言われている)
ちなみに「金剛」という名前ですが、日本海軍で定められていた戦艦の命名規則は日本の旧国名(「大和」「長門」など)から採られることになっていましたが、金剛型は「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」と、山の名前から採られています。
これは「金剛」が当初、戦艦ではなく「装甲巡洋艦」(後の重巡)というカテゴリーで開発が進んでいたためです。
余談として日本海軍の艦艇の名称は、駆逐艦は自然現象から(「陽炎」「島風」など。松型は除く)、軽巡洋艦は川の名前から(「長良」「阿賀野」など)、重巡洋艦は山の名前から(「高雄」「妙高」など。ただし「最上」といった軽巡から重巡に改造されたものは除く)、戦艦は旧国名、空母は伝説上の生き物から(「翔鶴」「大鳳」など。ただし「赤城」「加賀」「信濃」といった戦艦から空母に改造されたものは除く)それぞれ名前を付けられていました。
さて、建造からずっと海軍随一の速度を誇る「金剛」及び以下同型艦三隻ですが、1924年に、第一次大戦で勃発した有名なユトランド沖海戦での戦訓を生かすために大改装が行われます。
装甲の強化、武装の強化、航空機搭載能力の付加などが行われました。また、ボイラーも交換され、石炭メインから重油メインの駆動系に生まれ変わります。これにより煙突も3本から2本へ。
ちなみにこの時下ろされたボイラーは現在も保存されており、広島県呉市にある大和ミュージアムに展示されています
この時点で竣工当時からは想像もできないほど艦形が変化します。
そして1932年から第二次改装。装甲の強化、主砲の射程延長、対空兵装の強化に加え、今度はタービンが高性能なものに交換され、速力が30ノットに跳ね上がり、艦種も「巡洋戦艦」から「高速戦艦」というものに変わります。
また、これにより空母を主軸とする機動艦隊への随伴が可能となります
画像でみる艦形の変遷

竣工時
↓

第一次改装後
↓

第二次改装後
一体どういじくり回したらここまで形が変わるのか・・・・・・最終形態たる第二次改装後の姿はもはや竣工時の面影もありません。
F-2支援戦闘機も真っ青な魔改造っぷりです。
ちなみに第二次改装後、とりわけ太平洋戦争勃発後も対空兵装の増設やレーダーの装備など、小規模な改装が行われていますが、流石に船のシルエットが変わるほどの改造は行われていません。
さて、年を追うごとに姿が変わっていった金剛ですが、太平洋戦争が始まる1941年には既に艦齢が30年近いという、日本海軍屈指の最古参艦としてのポジションを絞めていました。
故に金剛型戦艦は、その古さと使い勝手のよさから大和や武蔵といった新鋭艦のような出し惜しみはされずにバリバリ実戦に駆り出されていきました。
シンガポールにイギリス艦隊があればインド洋まで走り、南に進出した日本陸軍が苦戦すれば同型の「榛名」と共にガダルカナルまで赴いて飛行場を砲撃したり、レイテ沖でアメリカの護衛空母艦隊を見つければ砲撃で大打撃を与えたりと、その活動は太平洋戦域の随所にわたりました。
金剛型三番艦「霧島」は、戦闘において初めて撃沈された戦艦となったものの、1942年の第三次ソロモン海海戦でアメリカ戦艦「サウスダコタ」と砲撃戦を繰り広げています。(太平洋戦争における唯一の戦艦対戦艦の砲撃戦)
「金剛」のその縦横無尽の活躍は連合軍にも評価され、日本海軍における最高殊勲艦という評価を受けています。
そんな金剛も、1944年に11月21年に米潜水艦「シーライオン」の雷撃攻撃により撃沈されてしまいます。
命中した魚雷は二本でしたが、実に30年近い艦齢による老朽化から徐々に浸水し、被弾から約二時間後に爆発し沈没しています。
また、被弾時の被害状況の軽視から総員退避勧告が遅れたために、艦長を含めた1300人以上の乗員が亡くなりました。
ちなみに金剛は日本の戦艦で唯一潜水艦の攻撃で沈められた戦艦でもあります
日本海軍の大ベテランとして太平洋戦争を戦った金剛でしたが、最も活躍した戦艦でもありました。戦う船ではありますが、やっぱり心惹かれますね
「金剛」は、旧日本海軍が運用していた金剛型巡洋/高速戦艦の一番艦であります。
建造計画が具体化した当時、日本は欧州列強の最新造船技術を取り入れるため、日本国内では発注せず、イギリスのヴィッカーズ社に発注して1911年に建造が始まったのでした。
このヴィッカーズ社に発注するまでには、日本の海軍省とヴィ社との間に収賄などといったいろいろと汚い話があり、1911年に起きたシーメンス事件(もともとは独軍需企業シーメンス社との収賄の発覚から始まった事件だったが、芋づる式にこの「金剛」建造に関する汚職も発覚した)においてこの問題が摘発されたことで有名です。(なので、日本史を勉強してしっかりと史料まで読みこむと、「軍艦金剛」という単語を見つけることができます)
そんなこんなで「金剛」が竣工したのは1913年8月16日。全長214.6m、排水量26330トン(全長、全幅、重量は後の改装により変化)。主砲に36センチ砲を8門搭載。竣工時には魚雷も搭載していました。
「巡洋戦艦」、つまり足の速い戦艦として建造された金剛は、27.5ノットという速度を誇り、非常に高性能な戦艦として生まれたのでした。
金剛の建造実績は、発注元である日本のみならず建造請け負ったイギリス自身にも大きな影響を及ぼし、後の戦艦建造の発展に大きく寄与したのでした。(第一次大戦勃発時に、イギリスが日本に「金剛」の貸出を要求したほど)
金剛以降に建造される日本の戦艦は、大和型が登場するまでは全てイギリス式のものとなっています。(大和型はアメリカ戦艦の影響を受けていると思われる)
またイギリスで建造されたのは「金剛」のみであり、二番艦以降は全て日本で建造されました。(「金剛」はそれらの中で最も完成度が高かったと言われている)
ちなみに「金剛」という名前ですが、日本海軍で定められていた戦艦の命名規則は日本の旧国名(「大和」「長門」など)から採られることになっていましたが、金剛型は「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」と、山の名前から採られています。
これは「金剛」が当初、戦艦ではなく「装甲巡洋艦」(後の重巡)というカテゴリーで開発が進んでいたためです。
余談として日本海軍の艦艇の名称は、駆逐艦は自然現象から(「陽炎」「島風」など。松型は除く)、軽巡洋艦は川の名前から(「長良」「阿賀野」など)、重巡洋艦は山の名前から(「高雄」「妙高」など。ただし「最上」といった軽巡から重巡に改造されたものは除く)、戦艦は旧国名、空母は伝説上の生き物から(「翔鶴」「大鳳」など。ただし「赤城」「加賀」「信濃」といった戦艦から空母に改造されたものは除く)それぞれ名前を付けられていました。
さて、建造からずっと海軍随一の速度を誇る「金剛」及び以下同型艦三隻ですが、1924年に、第一次大戦で勃発した有名なユトランド沖海戦での戦訓を生かすために大改装が行われます。
装甲の強化、武装の強化、航空機搭載能力の付加などが行われました。また、ボイラーも交換され、石炭メインから重油メインの駆動系に生まれ変わります。これにより煙突も3本から2本へ。
ちなみにこの時下ろされたボイラーは現在も保存されており、広島県呉市にある大和ミュージアムに展示されています
この時点で竣工当時からは想像もできないほど艦形が変化します。
そして1932年から第二次改装。装甲の強化、主砲の射程延長、対空兵装の強化に加え、今度はタービンが高性能なものに交換され、速力が30ノットに跳ね上がり、艦種も「巡洋戦艦」から「高速戦艦」というものに変わります。
また、これにより空母を主軸とする機動艦隊への随伴が可能となります
画像でみる艦形の変遷

竣工時
↓

第一次改装後
↓

第二次改装後
一体どういじくり回したらここまで形が変わるのか・・・・・・最終形態たる第二次改装後の姿はもはや竣工時の面影もありません。
F-2支援戦闘機も真っ青な魔改造っぷりです。
ちなみに第二次改装後、とりわけ太平洋戦争勃発後も対空兵装の増設やレーダーの装備など、小規模な改装が行われていますが、流石に船のシルエットが変わるほどの改造は行われていません。
さて、年を追うごとに姿が変わっていった金剛ですが、太平洋戦争が始まる1941年には既に艦齢が30年近いという、日本海軍屈指の最古参艦としてのポジションを絞めていました。
故に金剛型戦艦は、その古さと使い勝手のよさから大和や武蔵といった新鋭艦のような出し惜しみはされずにバリバリ実戦に駆り出されていきました。
シンガポールにイギリス艦隊があればインド洋まで走り、南に進出した日本陸軍が苦戦すれば同型の「榛名」と共にガダルカナルまで赴いて飛行場を砲撃したり、レイテ沖でアメリカの護衛空母艦隊を見つければ砲撃で大打撃を与えたりと、その活動は太平洋戦域の随所にわたりました。
金剛型三番艦「霧島」は、戦闘において初めて撃沈された戦艦となったものの、1942年の第三次ソロモン海海戦でアメリカ戦艦「サウスダコタ」と砲撃戦を繰り広げています。(太平洋戦争における唯一の戦艦対戦艦の砲撃戦)
「金剛」のその縦横無尽の活躍は連合軍にも評価され、日本海軍における最高殊勲艦という評価を受けています。
そんな金剛も、1944年に11月21年に米潜水艦「シーライオン」の雷撃攻撃により撃沈されてしまいます。
命中した魚雷は二本でしたが、実に30年近い艦齢による老朽化から徐々に浸水し、被弾から約二時間後に爆発し沈没しています。
また、被弾時の被害状況の軽視から総員退避勧告が遅れたために、艦長を含めた1300人以上の乗員が亡くなりました。
ちなみに金剛は日本の戦艦で唯一潜水艦の攻撃で沈められた戦艦でもあります
日本海軍の大ベテランとして太平洋戦争を戦った金剛でしたが、最も活躍した戦艦でもありました。戦う船ではありますが、やっぱり心惹かれますね
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太平洋戦争の時に F22 1機と無人補給飛行機を持っていたら世界征服は可能なのか
2ちゃんねるのまとめを見ていたら目にとまったのでF-22について少し
F-22
最近は割と耳にする戦闘機ですよね。自衛隊の次期主力戦闘機F-Xの選定においてもかなり初期の段階から最有力候補として挙がっていたり、沖縄に世界で初めてアメリカ国外への展開が行われたりと、わりかしマスコミの露出も多いので、一般人にも比較的知られている戦闘機です。(他にもフライト物のゲームでは主役機or最強戦闘機で登場したり、実写版トランスフォーマーではスタースクリームという凶悪な悪役として登場したり)
まあ、なんでこのF-22がこんなに話題に上がるのかと言えば、現状において性能が分かっている戦闘機としては「世界最強の戦闘機」だからなのです
F-22は、ロッキード・マーチン社とボーイング社が共同開発したステルス戦闘機で、「制空支配戦闘機」といういかにもなメーカーのキャッチフレーズが付けられています
最新鋭戦闘機なわけですが、その歴史は意外と古く、その開発計画は1985年に遡ります。当時、アメリカ軍はF-15の後継となるべきATF(先進戦術戦闘機)の採用計画において、数あるコンセプトデザインの中からロッキード社(当時)とノノースロップ社(現ノースロップ・グラマン社)の案を採用し、実機の開発を要求しました。
その結果、ロッキード社はYF-22を、ノースロップ社はYF-23を開発し、採用トライアルに提出したのでした。
トライアルの結果、二機の性能はほぼ互角(どちらかというと革新的な設計をとるYF-23の方がステルス性と航続距離、速度の面で勝っていた)でしたが、従来のノウハウから生まれた堅実な設計のYF-22の方が信頼性と整備性、生産性にすぐれるとして、1991年に採用を決定したのでした
採用が決定したロッキード社は、量産機の開発を開始。単座型(F-22A)と複座型(F-22B)を開発していましたが、複座型は後に開発中止となっています。
F-22の外見的な特徴と言えば、そのステルス性能の高めるための精錬された平面整列設計であります。

2009年横田基地フレンドシップデーにて
武装類は機関砲を含めて全て機内に格納されており、使用する時だけ収納ハッチを開いて発射します
ただそれゆえに搭載できる武装の数は少なめという欠点もあります
まあ武装は内蔵しかできないのかといえばそんなこともなく、主翼にはちゃんとハードポイントが設けられており、必要に応じて各種装備がつりさげられるようになっています(当然ステルス性は損なわれますが)

2010年横田基地フレンドシップデーにて。平時に移動などで長距離飛行を行う場合はこのようにドロップタンクを外付けする
また、形状面以外でもステルス性は考慮されており、F-22はアフターバーナーを使用せずに長時間の超音速飛行が可能な、いわゆる「スーパークルーズ」が実現しています。
なぜこの「スーパークルーズ」がステルス性に有利なのかというと、アフターバーナーを使用するとノズルから膨大な熱量が発生し(一度燃焼して排出された不完全燃焼の気化した燃料をノズル内で再度点火するため)、この熱が熱探知レーダーにとらえられてしまうからで、機体構造におけるステルス性能を完璧にしても結局こういった点でステルス性が失われては意味がないわけです。
まだスーパークルーズの実現が不可能だった時代に登場したステルス攻撃機のF-117Aはこの問題を解決するために敢えてアフターバーナーは採用していません。
F-117Aは攻撃機だったからまだよかったものの、当のF-22は、F-15の後継として、あらゆる戦闘機に勝てる「戦闘機」として開発されており、近代戦闘機の常識たる「超音速飛行」がなければとてもじゃないがその目標にはたどりつけない。当然ステルス性も維持したまま実現するにはこの「スーパークルーズ」しかなかったわけです
よって強力なエンジンの搭載はもちろんのこと、推力偏向ノズル、所謂「ベクタードノズル」が採用されているのも大きな特徴です。
これらの技術の投入により、F-22のステルス性能は恐ろしいもので、素の状態で飛行していると自然にステルス状態なので、普段飛行するときは逆に「レーダーに発見してもらう」ための部品を取り付けて飛行したりするそうです
さて、そんな完全無欠なですが、量産型のロールアウトは1997年のこと。この時点で既に開発費も高騰し、米軍の配備予定数も当初の750機から451機へと縮小されています。(開発費の高騰は近年の各国新型戦闘機開発における悪い癖です)
アメリカ軍では2003年から配備が始まり、実戦部隊運用は2005年。そしてこれと並行して配備予定数はさらに縮小され、最終的に197機となっています。
F-22は買うだけでもお高い戦闘機なのに、ステルス機故に整備にもお金がかかります。また、そのデリケートさから軍による整備も難しく、場合によってはメーカーの整備を受ける必要もあるなど、その運用費は計り知れないといわれています。
去年あたりにコクピット内になぜかエンジンの排気ガスが流入するという(構造上の欠陥かもしれない)わけのわからない問題も発生したようですが、そんなF-22は2012年には早くも生産が終了し、米軍への納入も終了。
その価格、運用コスト、とてもじゃないが日本のF-Xには高嶺の花だったわけです。AH-64D程度で高いから十数機で調達中止するような日本じゃF-22なんてそもそも無理がある上に、アメリカは自衛隊の機密保持力に対する不信感から、自衛隊の採用は一切認めませんでした(一応対日輸出用のモンキーモデルはあったみたいですが)
まあよくよく考えてみればF-22を採用してどうするつもりだったんだろうかとも思う。そりゃ十機ほど配備しただけでも中国やロシアに対する抑止力に関していえば相当なものでしょうが、実用面で考えると宝の持ち腐れであることはまず間違いないことだと思います。そもそもこういうハイテク戦闘機ってバックアップと両立出来て初めて真価が発揮されるんじゃなかろーか
そ、そりゃあ、純粋な軍オタ視点で見れば仮に採用されていたらそれはそれでお祭りでしょうが・・・・・
結局F-22は性能、コスト、運用思想の全てがアメリカンなんじゃないのか~
余談ですが、最強戦闘機として名を馳せるF-22ですが、実は過去に何度か模擬戦で「撃墜」されたことがあるらしいです
EA-18Gの長距離ミサイルに落とされたり、F/A-18Eに機関砲で撃墜されたりしていますが、特に目を引くのは「戦闘機じゃなくて練習機」のT-38に格闘戦で撃墜されたというもの。どーいうことだっ
カタログスペック的にはあり得ない結果なので、T-38のパイロットがすごいベテランだったか、F-22のパイロットがルーキーだったのかは分かりませんが、いずれにせよあんまり信じたくないです
ちなみにF-22が沖縄に一時展開した時に自衛隊とも空中模擬戦を行っていますが結果は公表されていないようです。
2ちゃんねるのまとめを見ていたら目にとまったのでF-22について少し
F-22
最近は割と耳にする戦闘機ですよね。自衛隊の次期主力戦闘機F-Xの選定においてもかなり初期の段階から最有力候補として挙がっていたり、沖縄に世界で初めてアメリカ国外への展開が行われたりと、わりかしマスコミの露出も多いので、一般人にも比較的知られている戦闘機です。(他にもフライト物のゲームでは主役機or最強戦闘機で登場したり、実写版トランスフォーマーではスタースクリームという凶悪な悪役として登場したり)
まあ、なんでこのF-22がこんなに話題に上がるのかと言えば、現状において性能が分かっている戦闘機としては「世界最強の戦闘機」だからなのです
F-22は、ロッキード・マーチン社とボーイング社が共同開発したステルス戦闘機で、「制空支配戦闘機」といういかにもなメーカーのキャッチフレーズが付けられています
最新鋭戦闘機なわけですが、その歴史は意外と古く、その開発計画は1985年に遡ります。当時、アメリカ軍はF-15の後継となるべきATF(先進戦術戦闘機)の採用計画において、数あるコンセプトデザインの中からロッキード社(当時)とノノースロップ社(現ノースロップ・グラマン社)の案を採用し、実機の開発を要求しました。
その結果、ロッキード社はYF-22を、ノースロップ社はYF-23を開発し、採用トライアルに提出したのでした。
トライアルの結果、二機の性能はほぼ互角(どちらかというと革新的な設計をとるYF-23の方がステルス性と航続距離、速度の面で勝っていた)でしたが、従来のノウハウから生まれた堅実な設計のYF-22の方が信頼性と整備性、生産性にすぐれるとして、1991年に採用を決定したのでした
採用が決定したロッキード社は、量産機の開発を開始。単座型(F-22A)と複座型(F-22B)を開発していましたが、複座型は後に開発中止となっています。
F-22の外見的な特徴と言えば、そのステルス性能の高めるための精錬された平面整列設計であります。

2009年横田基地フレンドシップデーにて
武装類は機関砲を含めて全て機内に格納されており、使用する時だけ収納ハッチを開いて発射します
ただそれゆえに搭載できる武装の数は少なめという欠点もあります
まあ武装は内蔵しかできないのかといえばそんなこともなく、主翼にはちゃんとハードポイントが設けられており、必要に応じて各種装備がつりさげられるようになっています(当然ステルス性は損なわれますが)

2010年横田基地フレンドシップデーにて。平時に移動などで長距離飛行を行う場合はこのようにドロップタンクを外付けする
また、形状面以外でもステルス性は考慮されており、F-22はアフターバーナーを使用せずに長時間の超音速飛行が可能な、いわゆる「スーパークルーズ」が実現しています。
なぜこの「スーパークルーズ」がステルス性に有利なのかというと、アフターバーナーを使用するとノズルから膨大な熱量が発生し(一度燃焼して排出された不完全燃焼の気化した燃料をノズル内で再度点火するため)、この熱が熱探知レーダーにとらえられてしまうからで、機体構造におけるステルス性能を完璧にしても結局こういった点でステルス性が失われては意味がないわけです。
まだスーパークルーズの実現が不可能だった時代に登場したステルス攻撃機のF-117Aはこの問題を解決するために敢えてアフターバーナーは採用していません。
F-117Aは攻撃機だったからまだよかったものの、当のF-22は、F-15の後継として、あらゆる戦闘機に勝てる「戦闘機」として開発されており、近代戦闘機の常識たる「超音速飛行」がなければとてもじゃないがその目標にはたどりつけない。当然ステルス性も維持したまま実現するにはこの「スーパークルーズ」しかなかったわけです
よって強力なエンジンの搭載はもちろんのこと、推力偏向ノズル、所謂「ベクタードノズル」が採用されているのも大きな特徴です。
これらの技術の投入により、F-22のステルス性能は恐ろしいもので、素の状態で飛行していると自然にステルス状態なので、普段飛行するときは逆に「レーダーに発見してもらう」ための部品を取り付けて飛行したりするそうです
さて、そんな完全無欠なですが、量産型のロールアウトは1997年のこと。この時点で既に開発費も高騰し、米軍の配備予定数も当初の750機から451機へと縮小されています。(開発費の高騰は近年の各国新型戦闘機開発における悪い癖です)
アメリカ軍では2003年から配備が始まり、実戦部隊運用は2005年。そしてこれと並行して配備予定数はさらに縮小され、最終的に197機となっています。
F-22は買うだけでもお高い戦闘機なのに、ステルス機故に整備にもお金がかかります。また、そのデリケートさから軍による整備も難しく、場合によってはメーカーの整備を受ける必要もあるなど、その運用費は計り知れないといわれています。
去年あたりにコクピット内になぜかエンジンの排気ガスが流入するという(構造上の欠陥かもしれない)わけのわからない問題も発生したようですが、そんなF-22は2012年には早くも生産が終了し、米軍への納入も終了。
その価格、運用コスト、とてもじゃないが日本のF-Xには高嶺の花だったわけです。AH-64D程度で高いから十数機で調達中止するような日本じゃF-22なんてそもそも無理がある上に、アメリカは自衛隊の機密保持力に対する不信感から、自衛隊の採用は一切認めませんでした(一応対日輸出用のモンキーモデルはあったみたいですが)
まあよくよく考えてみればF-22を採用してどうするつもりだったんだろうかとも思う。そりゃ十機ほど配備しただけでも中国やロシアに対する抑止力に関していえば相当なものでしょうが、実用面で考えると宝の持ち腐れであることはまず間違いないことだと思います。そもそもこういうハイテク戦闘機ってバックアップと両立出来て初めて真価が発揮されるんじゃなかろーか
そ、そりゃあ、純粋な軍オタ視点で見れば仮に採用されていたらそれはそれでお祭りでしょうが・・・・・
結局F-22は性能、コスト、運用思想の全てがアメリカンなんじゃないのか~
余談ですが、最強戦闘機として名を馳せるF-22ですが、実は過去に何度か模擬戦で「撃墜」されたことがあるらしいです
EA-18Gの長距離ミサイルに落とされたり、F/A-18Eに機関砲で撃墜されたりしていますが、特に目を引くのは「戦闘機じゃなくて練習機」のT-38に格闘戦で撃墜されたというもの。どーいうことだっ
カタログスペック的にはあり得ない結果なので、T-38のパイロットがすごいベテランだったか、F-22のパイロットがルーキーだったのかは分かりませんが、いずれにせよあんまり信じたくないです
ちなみにF-22が沖縄に一時展開した時に自衛隊とも空中模擬戦を行っていますが結果は公表されていないようです。
ソース:http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012032801001201.html
防衛省が発注、三菱重工が開発しているステルス実証機「心神」の組み立てが始まったそうです
最近のF-Xの選定機種がロッキード・マーチンのF-35Aに決定し、少しばかりその話題で影が薄くなってましたが、ようやく組み立てが始まったわけですな
F-Xがたび重なる選定延期の末にF-35Aに決定したこと自体はよかったんですが、当のF-35がまだ未完成であり、しかも最近はその開発費が高騰と開発の遅れが度々問題になっております。(当初は日本がF-15Jを導入した時よりも安く買えるはずだった)
F-35は、JSF(統合打撃戦闘機)として、現在稼働中の各国空軍戦闘機をこのF-35だけで賄えるように開発されたステルス機であります。ステルス性能は過去に実用化されたステルス機のデータを元にそれぞれの欠点を改善した結果、F-22よりも高いステルス性を持つと言われています。
空軍向けのF-35A(CTOL機)、海兵隊向けのF-35B(STOVL機)、海軍向けのF-35C(CV機)の三タイプが、それぞれの部品に互換性を持たせて同時開発されています。
しかしながら、三機種同時開発するということは、どれか一つでも開発が難航すれば、全体の開発にも影響を及ぼすという事でもあります。結果としてB型を筆頭にいろいろと問題が発生し、開発に遅れが出ているのです。当然生じた問題を解決するためにはお金と時間を必要とするので、中々完成しない。(一応少数の量産機が配備予定の一部の国に納入されていますが、そのテストでも問題が発生しているらしい)
まあ、アメリカや欧州の国々の場合、既に独自に開発したものを所有しているので良しとしますが、日本のようにF-4ファントムを未だに要撃の主力として使っている国にとってはもう時間があまり残されていないわけです。(現にオーストラリアはF-35の採用を一度決定したものの、開発の遅れを理由にまた採用計画を白紙に戻した)
とりわけ空自のファントムは、もう40年近く現役で、最近では「延命処置」として飛行時間を減らしてまで運用しているらしいです。もはや世にはファントムの「孫」にあたる戦闘機が飛ぶ中、仮にF-35の配備が間に合わず、退役してしまったら防空は穴だらけになってしまうので、結構深刻な問題かも。アメリカ空軍でさえF-35の実戦配備は2017年以降としているし、本当に大丈夫なんだろうか。
そんなわけで、日本でも一応F-35がダメになった時、早急に国産機の開発が必要になった時やいずれ次世代主力戦闘機を自力開発しなければならない時に備えて、次世代機をちゃんとした考証に基づいて作るために「心神」を開発しているわけです。いわば次世代機開発計画の第一段階といったところか
仮にF-35がおじゃんになってしまって、日本が仕方なくスーパーホーネットやタイフーンあたりをつなぎとして採用しても、その間に「心神」をベースにした次世代機を作るということもできますしね。
「心神」は、ステルスが昨今の第五世代戦闘機の前提になっていることを踏まえて、日本の技術力でまともに機能するステルスを開発可能かどうかを実証することを目的として開発されており、数年前にモックアップモデルが公開されています。
F-22やF-35、ロシアのPAK-FA:T-50といった最新鋭ステルス機に近い形状をしており(ステルス性を追及した結果、最終的にはあの形状にたどりつくと言われる)、エンジンは双発で、傾斜のついた垂直尾翼やインテーク、主翼尾翼などはいわゆる平面整列といわれるものになっています
モックアップの段階ではコックピット周りに当時退役したF-1戦闘機のものが多数流用されており、その時点でのステルス性能には疑問がもたれていましたが、あくまでもモックアップなので気にするところではないでしょう。現に最近公開されているイメージ図には新機軸のキャノピーを確認できます。
またステルス以外にも、推力変更ノズルが採用されていたりと、高機動研究にも使われているようです。
ただまあ、F-xにしてもこの「心神」にしても、次期主力戦闘機は「ステルス」であるということ前提で話が進んでいますが、果たして専守防衛の日本が「ステルス性能と高い地上攻撃能力を持つ戦闘機」を採用する必要はあるのかどうかという疑問もありますよね~
でもやっぱり世界の流れに歩調を合わせると必然的にそうなっちゃうのかな
ちなみに日本における過去の「研究実証機」としては、T-2練習機を改造した「T-2CCV」が存在し、これは主に新型操縦アビオニクス(特にフライバイワイヤ)の研究に使用されました。
後にこの研究の成果は、F-2を開発する時にフライバイワイヤのソースコードを作成するのに役立ったそうです。(ソースコードの作成の理由は、半ば強制的にF-16を元にする共同開発を推し進めたアメリカ軍があろうことかソースコードの提供を拒否したためで、もしT-2CCVの研究成果がなかったら、と考えると恐ろしい。そんなわけでこのT-2CCVの研究成果の貢献度は非常に大きいのです)
戦後の日本は、「高い技術力は持つが、戦闘機を自力で作り上げる実戦的ノウハウない」上、一種の「戦争アレルギー」によって中々純国産で思うような性能のものが作れいていないというのも事実です。
結局、全部国産で作ろうとすると必ず値段が高くなっちゃうんですよね。しかも武器を輸出することができないので、国際的なマーケティングにも役に立たない。戦闘機ではないけど、自衛隊が採用する89式小銃が「日本の武器の価格と需要の現実」が顕著化したいい例だと思う。(ただし自衛隊の場合、武器の配備数が他国の軍隊のそれとは比べ物にならないくらい少ないので、高価格でも調達費の合計は実質的にあまり変わらないともいわれますが)
「心神」の完成と初飛行は2014年。うまくいってくれるといいですな~
防衛省が発注、三菱重工が開発しているステルス実証機「心神」の組み立てが始まったそうです
最近のF-Xの選定機種がロッキード・マーチンのF-35Aに決定し、少しばかりその話題で影が薄くなってましたが、ようやく組み立てが始まったわけですな
F-Xがたび重なる選定延期の末にF-35Aに決定したこと自体はよかったんですが、当のF-35がまだ未完成であり、しかも最近はその開発費が高騰と開発の遅れが度々問題になっております。(当初は日本がF-15Jを導入した時よりも安く買えるはずだった)
F-35は、JSF(統合打撃戦闘機)として、現在稼働中の各国空軍戦闘機をこのF-35だけで賄えるように開発されたステルス機であります。ステルス性能は過去に実用化されたステルス機のデータを元にそれぞれの欠点を改善した結果、F-22よりも高いステルス性を持つと言われています。
空軍向けのF-35A(CTOL機)、海兵隊向けのF-35B(STOVL機)、海軍向けのF-35C(CV機)の三タイプが、それぞれの部品に互換性を持たせて同時開発されています。
しかしながら、三機種同時開発するということは、どれか一つでも開発が難航すれば、全体の開発にも影響を及ぼすという事でもあります。結果としてB型を筆頭にいろいろと問題が発生し、開発に遅れが出ているのです。当然生じた問題を解決するためにはお金と時間を必要とするので、中々完成しない。(一応少数の量産機が配備予定の一部の国に納入されていますが、そのテストでも問題が発生しているらしい)
まあ、アメリカや欧州の国々の場合、既に独自に開発したものを所有しているので良しとしますが、日本のようにF-4ファントムを未だに要撃の主力として使っている国にとってはもう時間があまり残されていないわけです。(現にオーストラリアはF-35の採用を一度決定したものの、開発の遅れを理由にまた採用計画を白紙に戻した)
とりわけ空自のファントムは、もう40年近く現役で、最近では「延命処置」として飛行時間を減らしてまで運用しているらしいです。もはや世にはファントムの「孫」にあたる戦闘機が飛ぶ中、仮にF-35の配備が間に合わず、退役してしまったら防空は穴だらけになってしまうので、結構深刻な問題かも。アメリカ空軍でさえF-35の実戦配備は2017年以降としているし、本当に大丈夫なんだろうか。
そんなわけで、日本でも一応F-35がダメになった時、早急に国産機の開発が必要になった時やいずれ次世代主力戦闘機を自力開発しなければならない時に備えて、次世代機をちゃんとした考証に基づいて作るために「心神」を開発しているわけです。いわば次世代機開発計画の第一段階といったところか
仮にF-35がおじゃんになってしまって、日本が仕方なくスーパーホーネットやタイフーンあたりをつなぎとして採用しても、その間に「心神」をベースにした次世代機を作るということもできますしね。
「心神」は、ステルスが昨今の第五世代戦闘機の前提になっていることを踏まえて、日本の技術力でまともに機能するステルスを開発可能かどうかを実証することを目的として開発されており、数年前にモックアップモデルが公開されています。
F-22やF-35、ロシアのPAK-FA:T-50といった最新鋭ステルス機に近い形状をしており(ステルス性を追及した結果、最終的にはあの形状にたどりつくと言われる)、エンジンは双発で、傾斜のついた垂直尾翼やインテーク、主翼尾翼などはいわゆる平面整列といわれるものになっています
モックアップの段階ではコックピット周りに当時退役したF-1戦闘機のものが多数流用されており、その時点でのステルス性能には疑問がもたれていましたが、あくまでもモックアップなので気にするところではないでしょう。現に最近公開されているイメージ図には新機軸のキャノピーを確認できます。
またステルス以外にも、推力変更ノズルが採用されていたりと、高機動研究にも使われているようです。
ただまあ、F-xにしてもこの「心神」にしても、次期主力戦闘機は「ステルス」であるということ前提で話が進んでいますが、果たして専守防衛の日本が「ステルス性能と高い地上攻撃能力を持つ戦闘機」を採用する必要はあるのかどうかという疑問もありますよね~
でもやっぱり世界の流れに歩調を合わせると必然的にそうなっちゃうのかな
ちなみに日本における過去の「研究実証機」としては、T-2練習機を改造した「T-2CCV」が存在し、これは主に新型操縦アビオニクス(特にフライバイワイヤ)の研究に使用されました。
後にこの研究の成果は、F-2を開発する時にフライバイワイヤのソースコードを作成するのに役立ったそうです。(ソースコードの作成の理由は、半ば強制的にF-16を元にする共同開発を推し進めたアメリカ軍があろうことかソースコードの提供を拒否したためで、もしT-2CCVの研究成果がなかったら、と考えると恐ろしい。そんなわけでこのT-2CCVの研究成果の貢献度は非常に大きいのです)
戦後の日本は、「高い技術力は持つが、戦闘機を自力で作り上げる実戦的ノウハウない」上、一種の「戦争アレルギー」によって中々純国産で思うような性能のものが作れいていないというのも事実です。
結局、全部国産で作ろうとすると必ず値段が高くなっちゃうんですよね。しかも武器を輸出することができないので、国際的なマーケティングにも役に立たない。戦闘機ではないけど、自衛隊が採用する89式小銃が「日本の武器の価格と需要の現実」が顕著化したいい例だと思う。(ただし自衛隊の場合、武器の配備数が他国の軍隊のそれとは比べ物にならないくらい少ないので、高価格でも調達費の合計は実質的にあまり変わらないともいわれますが)
「心神」の完成と初飛行は2014年。うまくいってくれるといいですな~
1945年3月10日
東京大空襲の日。
今年で67年が経過しました。
明日で東日本大震災から一年が経とうとしている中、全国で追悼の念に包まれている中、もうひとつの忘れてはいけない出来事であります。
日付が変わると同時に始まった空襲は、アメリカ陸軍航空隊三個師団分のB-29約300機によって東京の下町を中心に
三八〇〇〇〇発の焼夷弾(黄燐焼夷弾やクラスター式のナパーム弾)が投下され、約27万戸の建造物を破壊し、12万人以上の死傷者を出した。
死者は8万人以上といわれるが、実際にはもっと多いと言われる。(川に飛び込んで溺死した人々の遺体が行方不明になっていたり、一家全滅などにより正確な死者数は分かっていない。)
木造家屋が中心だった下町は、焼夷弾により次々と延焼し、当日は強風が吹いていたため火災旋風も発生していた。
吹きあがる煙は成層圏にまで達した
アメリカ軍は延焼による被害の助長を狙ったより効率的な爆撃方法を模索するために、1923年に起きた関東大震災の火災による被害状況を徹底的に分析し、木造家屋中心の下町を攻撃目標に策定した後、日本家屋の実物大模型を率いた火災実験まで行っている。
ちなみに関東大震災が起きた当時、世界で最大の復興支援を行った国は紛れもないアメリカである。
結果、導き出された爆撃方法は
まず爆撃ポイントに低空侵入した投下誘導機がエレクトロン焼夷弾(照明弾)を投下し、大まかな攻撃位置を示し、それをに従い人口密集地の周りに円を描くように焼夷弾を投下して火の壁を作って範囲内の人間の逃げ場をなくす。その後密集地に絨毯爆撃を行い徹底的に破壊していくという方法だった。
東京大空襲が絨毯爆撃による無差別攻撃であったことは言うまでもないが、その無差別攻撃とは入念に練られた「作戦」
であったということ。
東京大空襲による被害(Wikipediaより)
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
米軍の被害は撃墜・墜落が12機、撃破が42機
となっている
当然、先の東日本大震災もそうですが、この東京大空襲のこのも決して忘れてはいけないと思います。
自分の祖母もこの空襲の経験者なのでなおさら。
軍事関係に首を突っ込んだ趣味を持つ以上、こういった「人の死」や「悲惨さ」というものは一層際立って見えてくる。そしてそれから目をそむけてはいけないと思います。
悲惨な事実を真摯に受け止めることも、歴史を知ったり、武器や兵器、戦史を知る上での大切な務め
そう思います。
東京大空襲の日。
今年で67年が経過しました。
明日で東日本大震災から一年が経とうとしている中、全国で追悼の念に包まれている中、もうひとつの忘れてはいけない出来事であります。
日付が変わると同時に始まった空襲は、アメリカ陸軍航空隊三個師団分のB-29約300機によって東京の下町を中心に
三八〇〇〇〇発の焼夷弾(黄燐焼夷弾やクラスター式のナパーム弾)が投下され、約27万戸の建造物を破壊し、12万人以上の死傷者を出した。
死者は8万人以上といわれるが、実際にはもっと多いと言われる。(川に飛び込んで溺死した人々の遺体が行方不明になっていたり、一家全滅などにより正確な死者数は分かっていない。)
木造家屋が中心だった下町は、焼夷弾により次々と延焼し、当日は強風が吹いていたため火災旋風も発生していた。
吹きあがる煙は成層圏にまで達した
アメリカ軍は延焼による被害の助長を狙ったより効率的な爆撃方法を模索するために、1923年に起きた関東大震災の火災による被害状況を徹底的に分析し、木造家屋中心の下町を攻撃目標に策定した後、日本家屋の実物大模型を率いた火災実験まで行っている。
ちなみに関東大震災が起きた当時、世界で最大の復興支援を行った国は紛れもないアメリカである。
結果、導き出された爆撃方法は
まず爆撃ポイントに低空侵入した投下誘導機がエレクトロン焼夷弾(照明弾)を投下し、大まかな攻撃位置を示し、それをに従い人口密集地の周りに円を描くように焼夷弾を投下して火の壁を作って範囲内の人間の逃げ場をなくす。その後密集地に絨毯爆撃を行い徹底的に破壊していくという方法だった。
東京大空襲が絨毯爆撃による無差別攻撃であったことは言うまでもないが、その無差別攻撃とは入念に練られた「作戦」
であったということ。
東京大空襲による被害(Wikipediaより)
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
米軍の被害は撃墜・墜落が12機、撃破が42機
となっている
当然、先の東日本大震災もそうですが、この東京大空襲のこのも決して忘れてはいけないと思います。
自分の祖母もこの空襲の経験者なのでなおさら。
軍事関係に首を突っ込んだ趣味を持つ以上、こういった「人の死」や「悲惨さ」というものは一層際立って見えてくる。そしてそれから目をそむけてはいけないと思います。
悲惨な事実を真摯に受け止めることも、歴史を知ったり、武器や兵器、戦史を知る上での大切な務め
そう思います。